オフシーズンの特別企画として、スタッフ直撃インタビューを企画しました。インタビュアーはHP管理人のQたろう。直撃されるのは、この秋からやまアドスタッフとして一緒にツアーを盛り上げてくれる予定の面々です。まず第1回は、ツアー主催者の丹羽隆志のインタビューを2回に分けて掲載します。お楽しみに!


丹羽隆志インタビュー
都内、某所の沢にて(2002/8)


=NO.1=

ども。本日、私はインタビュアーですので、ちょっと真面目にいきます。てなわけでよろしく。「やまみちアドベンチャー」は2001年1月1日にスタートしたので、この年末で丸2年になりますね。丹羽隆志のあれこれ、やまみちアドベンチャーのあれこれについて、本日は直撃インタビュー!覚悟してください! えーっと、まずは、HPにも掲載しているけれども簡単なプロフィールを自転車との出会いも含めてお願いします。

丹羽 スポーツとしての自転車とか、いわゆるアウトドアってのに目覚めたのは大学の自転車部に入ってから。それまではギター少年でした。
でもオヤジの田舎が飛騨の山奥で、夏休みや冬休みはそこで過ごしたので、野山を駆け回ったり、川を潜ってアユを捕ったり、イワナを釣ったりというのはさんざんやってました。それが自分の原風景だし、原点だと思ってる。今でもチベットやアメリカや、いろんなところに行っても、どこかでそこを基準に見ているような気がします。


学生時代に自転車部に入ったきっかけは?どんなことをしていたのですか?

丹羽 自転車を始めたのは、クラブの先輩に勧誘されたからです。漠然といろんなところを旅をしてみたいと思っていたときに、そんな話を聞いて、自転車っていうのもいいなと。
それからは毎週末のようにどこかに走りに行って、峠越えなどをしていました。
それから春休みと夏休みは2ヶ月ずつあったので、テストが終わるとその翌日から走り始めて、休みいっぱい(ときには授業が始まっても)走り回ってたんです。そのときはひたすらキャンプツーリングだったので、2ヶ月走って予算は10万円くらいとか。すべて食費でした!
あとは沖縄の島のサトウキビ畑で働いたり、いろんな世界を見てみたいと思って、ひたすらあっちこっちに行きまくったなあ、って今でもか?


自転車部ではキャプテンだったと聞いたのですが。

丹羽 はい、クラブではキャプテンでした。3年生のときのことです。
学生って意外と保守的で、伝統っていうのにこだわる。センパイがやってきたことを受け継いで、そのまま伝えるワケです。なのでツーリングクラブの夏合宿は、サイドバッグをいっぱいつけてノッシノッシと走るっていう不文律が、多くのクラブにはあったりして。
でもボクのクラブは新しくて、背負っているものも大してなかったので、なんでもありという感じで、スタイルに固執せずにいろんなことをやっていたような気がする。ロードバイクに徹底的にコンパクトにした装備で、仲間と先頭交代しながら距離を伸ばしたり、青森から大学までの700kmちょっとをリレーでタイムトライアルしてみたり、冬のチベット高原にチャレンジしてみたりと、おもしろそうなことをいつも探していたかも。
その分、失敗も多かったけど…。


どんな失敗ですか?

丹羽 例えばゴールデンウィークの乙見山林道(新潟〜長野)にいったとき、途中で除雪区間が終わってしまって、あとは積雪5mくらいの林道をひたすら行ったんです。ちゃんと調べてから行けよって感じだけど。
普通なら引き返すんだろうけど…。結局、2日で越える予定が4日かかった。昼間は雪が緩むので、ほとんど朝と夕方しか行動ができなかったワケです。それで食糧が尽きてしまったので、雪の間から顔を出しているコゴミやフキノトウを食べつづけて、…とっても快便でした!


聞いてないんですけど…。

丹羽 あれ?失礼。そんなときにも細引き(登山用ザイルの細いの)や簡易アイゼンを持っていったのでなんとかなったワケだけど。

細引きと快便は・・・関係ないですよね? …失礼。続けてください。

丹羽 自転車のクラブは3年生いっぱいで引退になるけど、そのあとに山岳部に入って登山をしたのも本当にいい経験でした。。自転車ツーリングって自己流に毛が生えた程度の蓄積しかなかったけど、登山の世界は危険度も大きいために、安全管理のための道具や、それを使うノウハウがしっかりある。でも考えてみると自転車だっていろいろな危険はあるわけで、だからこそ取り入れることは多かったですね。

学生時代にチベット遠征をしたそうですが、なんでチベットに行こうと思ったのですか?

丹羽 とにかく海外に行ってみたかったんです。
2年生の終わり頃になって、大まかにではあるけれど日本中を走り回ったと思った頃、当然のことのように海外へと目が向き始めて。日本の次は海外…。まあ自然な発想ですよね。 でも僕にとっては、どこを走ってみたいという具体的なものはなくって、とにかく外国へ行って、自転車で走ってみたいという気持ちだったんです。それで、2年生の終わりの春休みの2ヶ月間を海外ツーリングの期間と決めて、それに向かって半年ほど前から準備を始めました。
まずはどこへ行くか。当時、海外というとアメリカやヨーロッパ、オーストラリアが一般的だったので、御多分にもれず、僕もそんな国々に行ってみようと、漠然と考えていました。それで必要な航空券や滞在費というものを計算していくと、どうしても資金が足りないことに気がついて。なんとかなるだろうとあの手この手を考えてみたけれど、やはりどうにもならない。僕の総予算はなんとかひねり出しても20万円。当時は1ドルが200円前後をさまよっているころで、航空券も今の倍くらいの値段はしていたから、まるでお話にならない状況でだったんです。
それで浮上、というか残った国が韓国と中国。船で行けるし物価も安い。実は、どちらの国にも、特別に興味があったわけではなかったし、むしろそこしか行けないのかという無念さもあったのですが。西洋に対する憧れと、コンプレックスも大きかったのだろうと思う。でもまずは日本を脱出してみることに大きな意味合いを感じていたので、それでよしとすることにしました。


それで、中国にするって決めた理由はなにかあるのですか?

丹羽 2ヶ月という日数を持て余してしまいそうだった韓国に比べて、中国の広大さは旅のし甲斐がありそうだなあと思ったので。シルクロードという言葉にもときめいたし、個人の旅行者に門戸を拓いて間もないということに魅力を感じました。そんないきさつで、行き先は中国に決めました。それまで日本国内を旅した経験から、風光明媚な観光地よりも、その土地土地の独特な暮らし振りや、人々に接することの方が楽しくてエキサイティングだったから。

中国は広いと思いますが、どうしてチベットを選んだのですか?

丹羽 初めての海外への旅を中国と決めた僕は、早速ガイドブックを買い込んで、どこをどう回ろうかと読み漁っていたんです。そこで僕はひとつの文字に強く惹かれました。それがチベット。その瞬間まで僕は、チベットが中国領であることを知らなかったのだけれど。

どうしてチベットという文字に惹かれたのでしょう?

丹羽 チベットという言葉には、特別な思いがあって。僕は幼い頃から、暇さえあれば地図や時刻表を眺めているような子供だったのですが、父の持っていた古い世界地図を手に入れると、ひたすらそれに見入っていました。その地図は、標高が低いところは黄緑に、高くなるにつれてこげ茶色に塗り分けられているものだったんですが、それを見ると、世界中でたった一箇所だけが黒に近いこげ茶に塗られているところがあって、その北側には茶色い部分が広がっていたんです。それがヒマラヤ山脈であり、チベット高原でした。日本列島と同じくらいの長さで連なる標高8000mを越える山並み、それよりはるかに広い大地は富士山よりも高いというもの。想像するだけで、高度障害のように(笑)胸は高鳴っていました。

「お母さん、チベットってどんなところ?」と聞いてみても、当然僕の思った答えは返ってくるはずもなくって。小学校の授業で先生に「将来、どんな国に行ってみたい?」とたずねられると「チベット」と大声で答えるような少年でした。 いつしか僕はチベットという言葉を、すっかり記憶の奥底にしまい込んでいたのですが、10年以上の時を経て、中国のガイドブックに「チベット」の文字を見つけてしまったんです。幼い頃に、夢の夢でしかなかったチベットがそのとき、自分の手の届くところに来ているということ。それだけで僕の胸ははちきれそうなくらいに高鳴っていました。 ひたすらチベットのことだけを考えて、旅立ったのはそれから2ヶ月後です。

その旅は結局自転車を持たずに行ったのですが、チベットからネパールのカトマンズまで、ヒッチハイクしながらヒマラヤを越えて行くことができたんです。そのときの峠の標高は5200m。で、翌年にそこを自転車で走ろうということで、クラブの連中に呼びかけて、さらにそこに大学の教授も加わって、遠征隊と発展していったというワケです。MTB遠征は1987年でした。


今でもチベット人と交流していますが?

丹羽 チベットへ行く前の僕のプランでは、チベットの次にはアフリカや南米など、いろいろなところに行ってみようというのがありました。ところが行ってみたチベット、というかチベット人たちの生活や考え方があまりにもおもしろくて、どっぷりはまってしまった。そのあたりについては言い出すと本当に止まらなくなってしまうのですが。ともかく15年以上もこうして継続してひとつの家族を訪ねてることになるとは、そのときには夢にも思わなかったというところかな。
そんなことでMTB遠征の翌年は、インドやネパールに住むチベット難民を3ヶ月ほど訪ねて回ったのです。ダライラマ14世と会ったのもそのときです。その旅の途中で、1ヶ月ほど居候させてもらったチベット人の家族と、今でも交流を続けています。それからその難民家族は、チベット内に残された家族がいて、その両方を訪ねたりもしています。


その後もチベットにはMTBで行ってますよね?

丹羽 チベットに残された家族のところは、ツーリストの行かないところで、クルマもほとんど通らない。なので馬を借りてアプローチしてたのですが、やっぱり自由度は少ない。ということでまたまたMTBの出番となったのです。
かつてのように、どこかの区間を走破しようというアドベンチャラスな目的ではなくて、クルマで行けるところまで行って、そこからMTBを活用する。標高4500mの高地にでは、歩いて10kmはなかなかの重労働だけれど、MTBならば小1時間。体力の消耗も格段に少ないのです。チベット高原において、自分の意のままに行動できる足を持つということは、旅の「自由」をも意味します。15年前とスタイルは違えど、MTBは頼りになる相棒です。


ライターとしてのお仕事もしているようですが(って、本当はそれが本業ですよね?)、それはいつ頃から?

丹羽 これは自転車でチベットを走った後に、その模様を雑誌に書いたのが最初。21歳の頃に、なんか自転車でおもしろいことをしてるのがいると、知人を通じて編集者から連絡をもらったのがきっかけ。以来、出版社でアルバイトをしたり、ちょっとした原稿を書いたりしているうちに、学生という肩書きがなくなってしまった…、というところかな。

アメリカでアウトドアスクールに所属していたということですが、それはどこで、いつ頃のことですか?ご結婚されたのもその頃?

丹羽 1990年から1992年にかけて。アメリカのモンタナ州というロッキー山脈に沿ってカナダとの国境に接している州で、イエローストーン国立公園の北側です。結婚したのは帰国の直前。

アウトドアスクールではどんな仕事をしていたのですか?

丹羽 日本からの留学生を預かっていたので、飯炊きから皿洗い、ベイビーシッターから掃除、薪割など。いちお、アウトドアスクールのマネージャーという肩書きだったんですが…。
で、アウトドアのことでいえば、馬のツアーが多かったので、それの世話は日課。夏はサマーキャンプなどをしていて、夏の間は山奥に入って、1ヶ月くらいずっと馬とテント暮らしだったり。それから川でカヤックやラフティング、登山やロッククライミング、それからもちろんMTBも。


MTBはどんな感じで?

丹羽 日常的には住んでいたところのすぐ裏から始まるシングルトラックがあって、そこを走り回ってました。針葉樹の森の中にトレイルが続いていたのです。といっても雪深いところだったので、春から秋にかけてですけど。
それからMTBのツアーもユタ州のモアブというところでやっていました。グランドキャニオンをもっとでっかくしたようなところで、谷底までダウンヒルして、そこからヒロ〜イ谷間のループの約150kmを3日間くらいかけて走りつづける。もうあれは異次元感覚っていうか地球にいる気がしない。入場制限があるので、出会う人も極端に少ないのです。当時はまだそれほど知られていなかったけど、今はそのツアーも参加するのに2〜3年待ちとか…。あ〜、また走りたいなぁ!


どうして日本に帰ってこようと思ったのですか?

丹羽 滞在中に子供から大人まで、多くの日本人をガイドして、また多くの人から帰国後にお礼の手紙をいただいたんですけど、それがボク自身が帰国を考えるきっかけです。ほとんどの人がアメリカの体験をすごくいい思い出としてくれているのはうれしいけど、それがニッポンに対するコンプレックスになっているということに気がついてきたんです。つまりは多くの人は「アメリカ=大自然、ニッポン=自然がなく、忙しい」というワケです。ニューヨークの人が北海道の大雪山に来たら、まったく逆なんでしょうけど。大人はともかくとして、子供たちがそうしてニッポンに対してコンプレックスを持っていくような気がしてやりきれなかった。
ボクは飛騨の山奥で、野山を駆け回って育ったのは、今から思うととっても恵まれていたのだと。イエローストーンというところは世界で最初の国立公園ということもあって、自然の豊かなところではあるけど、ニッポンだって決して劣っているワケではない。広さという意味ではスゴイけど、むしろ自然の濃さという意味ではニッポンの方がよっぽどスゴイ。ブナの森とそこを流れる沢なんて、もうたまんないね!
ニッポンの山里に暮らす人の、自然を生かし、生かされという知恵も、本当に奥深いものがあると感じていたんです。アメリカで労働ビザを取得できたので、ずっといられる環境ではあったけど、ボクにとってはニッポンの自然をベースに生きていきたいし、ニッポンのよさをもっと伝えたい!と思ったのです。




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自転車以外でも幅広くアウトドア関係の遊びをしていますよね。どんなことしてをしていますか? それぞれの魅力と共に語ってください。


丹羽 季節によっていろいろとやってみるのが楽しいですね。雪のある時期ならテレマークスキー。テレマークスキーというのは使う道具と、テレマークターンという方法で下るのでそう呼ぶんだけど、自分としてはバックカントリースキー、つまり自然の中を滑るというイメージかな。で、雪がなくなったら歩いたり、沢を登ったりと。
同じフィールドでも季節が違うと、全然違う魅力がある。たとえば雪のない時期に森を歩くと、木々は頭上を覆って結構えらそうだったりするんだよね。でもそこに5mも雪が積もっていると、木はその頭をちょこんと雪の上から出してるだけだったり。その木に氷が張り付いて樹氷になってたり。そういう意味で同じフィールドで季節を変える楽しみは、足し算じゃなくて掛け算だね。
MTBはトレイルというワクの中をいかに走るかだけど、テレマークスキーは雪があって雪崩などの心配がなければどこを滑ってもオッケー。自由度という意味では断然テレマークスキーだね。それからテレマークスキーはそのプロセスがMTBとおんなじ。登りはゼーハーいいながらで、テッペンについてウォ〜〜〜ッっと叫んで、オリャ〜〜〜〜ッと下る。もうたまんないね!
で、今(夏)は沢登り。といっても本格的にやってる人からするとただの水遊びの領域だけど。夏はシングルトラックはヤブも深いし虫も多いのでオフ。その分、水辺をジャバジャバやりながら、滝壷を泳いで、シャワークライムして、滝壷にドボンを繰り返してます。もうたまんないね!

なんか、「たまんないね!」が多いような気がしますが…

丹羽 だってたまんないよ!何日かかけて行くような沢旅だったら、毎日イワナを釣って、焚き火で焼いて食べたりね。これぞニッポンの自然の楽しみって感じ。もうたまんない、たまんない!
あと、山歩きも大好き。メジャーな山にはそれなりの魅力はあるけど、人が少なくて奥の深い東北の稜線歩きが好きかな。
そういえば、モガジイ(*1)と組んで週刊プレイボーイの旅の企画で、北海道をドサンコ馬で旅したり、スンゴイきれいな川をシュノーケリングで下ったり、流氷のオホーツクを漁船に乗り込んだり、廃線跡を旅したりってのがあって、あれも楽しかったです。モガジイのアウトドアのスタイルもそうだけど、この道一筋で極めるというよりも、そのフィールドで、MTBがおもしろければMTBを、歩きがよければ歩いてという感じで、オイシイとこどりというのが基本だね。本当は、カヤックや他のことにも触手を伸ばしたいというのもあるけど、この手の遊びは、はまるほどにオモシロイので、ほどほどにするように努めています。


*1 モガジイ…アウトドアカメラマンの茂垣克巳さん。雑誌サイクルスポーツのニワの記事はほとんど彼の撮影。学生時代から何かとお世話になってるアウトドアの達人(感覚的には漁師だね)で、房総のツアーなどはガイドをお願いしている。

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